2009年9月19日

私の嫌いな10の言葉

私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)「私の嫌いな10の人びと」をさっと読み終え、やっぱりワタクシの考え方はぶれてない・・・とか思い、でもって新しい本を読もおって思ったら本を買う金がないことに気づいた。いやーしかし今の職場・・・給料安すぎ。本も買えないや。ってことで、古い本を引きずり出してきて読もうって思って本棚をゴソゴソしてたら、やっぱりあったよ「私の嫌いな10の言葉」。
この本も2〜3回読んでるんだけど、まぁいいや。就職して人様に仕える身になっちゃったけどでもでも自分の考え方がぶれてないってことをさらに実感しよっと。

親と疎遠になったワタクシは、それを恥ずかしいとも思わないので、親とは縁を切りましたって言うと、たいていの人が「育てて貰った親に感謝しなくちゃいけない」とか「もう少ししたら親のありがたみがわかるよ」とか言う。この言葉はものすごく無神経だと思う。だって、親と縁を切るって世間的に言うとものっすごいことだからそれなりに理由があるはずなのにそれを確認せずにあっさりとそういうことを言っちゃうんだからビックリ。昔はそういったことがよくわからずになんでワタクシはそういう風に思うんだとか思ってたけど、自分が子供を持ってつくづくそのへんがよくわかってきたと思う。だって、子供はどう考えても親の犠牲だもん。産まれてきたのだって「産んでくれた」っていうけど、勝手に恋愛して(恋愛してないかもしれないし)勝手に産んだんじゃん。子供の名前だって親の勝手な気持ちだし。そこに子供の意思はないんだから。だから子供は産まれてきた時点で親の勝手だと思うんだな。それは愛情だっていうかもしれないけど、親側からの一方方向の愛情だもんね。だから、育てるのは義務だと思うんだけど。捨てる権利だってあるんだからさ。産んだ責任を持って・・・云々・・・っていうのならやっぱり親側の理由じゃんってね。そんな親に育てられた子は親を見て育つから「親を裏切れない」とか考えるようになっちゃうんだよ。結婚とか就職とか、子供が自分で選んだ道を行きたいのに、それを親の勝手な考え方で止める・・・そしてそれを子供が「裏切れない」とか言う。まったくもっと親の犠牲じゃーん。ワタクシの娘は現在高校1年生なんだけど、小さな頃から「親は捨てるもんだよ」って言ってきてるから。あっさりと捨ててくれるといいんだけどなー。捨てるのと嫌うのは違うことだけ言っておくけどね。
一方方向の愛情って話で思い出したけど、一方方向の好意っていうのもあるよね。手紙を送ったり、土産をあげたりして、それに対して礼状とかお礼がなければ無礼とか失礼とかいう人。たいていの人ソレをは好意と受け取ってお礼をするんだけど、そうじゃない人・・・・・・手紙とか土産とか鬱陶しいと思ってる人がいるんだってことがわかってないんだよねー。イーストウッドの映画の正義感がまさにそれで、正義という名の下にマイノリティの2割を切り捨てて残りの8割に共感を得るってな感じの。悪い言い方をすりゃ頼んでもないのに勝手に押しつけの好意を受け取らせて、それに対しての挨拶がなきゃ無礼ってなっちゃうの。そんなんもすごくキライ。話は長々となっちゃったけど、中島義道の本にはそういったことが書いてあったりするのですよ。すべてに共感できるワケじゃないけどねー。


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